時の欠片(11)
2008/02/06 公開
バーカ、嘘だよ、と笑って欲しかった。
そんないつもの言葉が雪菜の口から出て来ることを望んだ。
だが、冗談には聞こえなかった。
冗談だとも雪菜は言ってくれなかった。
何度も何度も自分の手の感触を確かめる。
それはしっかりと動いていたし、この寒さだって身に染みて感じるのだ。
とても死んでいるとは思えなかった。
ましてや由衣まで死んでいると言われて、はいそうですかと頷く方がどうかしている。
俺は頭が混乱していた。訳が分からなかった。
脳裏に、ひとつの言葉が蘇った。
“お前は犯罪者になるんだ”
──ドクン、と心臓が鳴る音が聞こえた。
俺は、全てを思い出していた。
あの時、俺はあの謎の声を聞いた。
頭痛と、吐き気を催した。そして気を失った。
──否、“もう一人の俺”が目を覚ました。
おそらくその時、“もう一人の俺”が由衣を殺し、そして続けて“俺”自身をも殺した──
──俺が?
俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
地面に顔を埋め、声を上げて泣いた。
俺たちは死んだ後、先に気が付いた由衣が倒れている俺を見て救急車を呼んだ。
その救急車がもはや存在しない病院へ運んだことから、
おそらく由衣の携帯は存在しない番号に繋がっていた。
昨日雪菜が見舞いに来た時、雪菜は、由衣から母親が電話を受けたと言った。
あれはおそらく嘘で、既に俺と、そしてもう一人女の子が死んでいたことを知っていたに違いない。
その女の子が、俺とどういう関係だったのか、それを聞き出そうと、そんな嘘をついた。
そう思えた。
雪菜の見舞いよりも前に、家路に着いていた由衣は、おそらくそこで自分の死に気付いた。
子を失い泣き叫ぶ親の姿を、間近で目にした。
慌てて家を飛び出した由衣は、自分が生きているかの確認をしたのかもしれない。
誰かに話し掛けた。
でも、誰も答えなかった。
あるいは誰かに電話した。
しかし、俺が由衣に電話を掛けた時のように、誰にも繋らなかった。
絶望にうちひしがれた彼女は、堪え切れず泣いただろうか。
今の俺みたいに、声を上げて泣いたのだろうか。
一晩中泣き明かし、そしてひとしきり泣いた所でふと俺のことを思い出した。
携帯の電話は繋らなかったが、死んだ後も会話をしていた俺になら、自分の姿が見える。
そう思って、由衣は病院に駆け付けた。
──それはあくまでも想像でしかないけれど、
俺が病院を出て由衣を見つけた時の、泣いたような掠れた声と息を切らしていたその理由を、
今になってようやく理解したような気がした。
そして、彼女は気付いていたのだろう。
もうすぐ、自分たちが消えてしまうかもしれないということに。
だからこそ由衣は、最後に好きだった人との思い出を残したいと思った。
観覧車に乗ろうと願い出た。
入場券が必要なかったのは、今日が特別な日だからじゃない。
俺たちの姿が誰にも見えなかったからだ。
観覧車の警備員がやる気なく見えたのも、
俺たちが観覧車に乗ろうしていたのに気付かなかったからだろう。
そして、俺たちが開けたゴンドラの扉は、風で開いたとでも思い、そして無言でそれを閉めた。
観覧車が一回りした時、係員が扉を開けたのは、俺たちを下ろすためじゃない。
待っていたカップルを乗せるため。
もしそうじゃなければ、係員が乗り込もうとするカップルに「どうぞ」と言う前に、
俺たちに「ありがとうございました」と言うはずだ。
そう言わなかったのは──俺たちがもう既に死んでいたから。
由衣は、観覧車の次は学校へ行きたいと言った。
一度は、恋人として一緒に手でも繋ぎながら通学したかった。
だから、もう生きた状態では無理でも、俺と学校へ行っておきたいと思った。
二人で、学校へ──
俺はあの、由衣の寂しそうな笑顔を思い出していた。
咽び泣いていると、何か温かい物が背中に触れているのに気付いた。
雪菜が、俺の背中を撫でていた。
ボロボロと涙を零しながら。
雪菜の触れるその手は、温かかった。
それが俺の心を少しだけだが落ち着かせてくれた。
ありがとう、と俺は呟いた。
雪菜には聞こえていないようだった。
──本当は、さっきからなんとなく気付いていた。
だんだん、体の五感が鈍くなっている。
もうすぐ死ぬんだな、と思った。
いや、既に死んでいるのだから、有り体に言えば、成仏しかかっているのだろう。
あまりに非現実だから、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
笑いながら、泣いていた。
──由衣。
また、由衣の笑顔が脳裏に浮かんだ。
そうだ。
俺の背中は、雪菜が撫でてくれている。
しかし、由衣の背中は誰が撫でる。
誰が由衣の涙を受け入れてやるんだ。
──俺しかいないじゃないか。
「……行かなきゃ」
雪菜は、黙って頷いた。
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