時の欠片(9)
2008/02/05 公開


俺たちを乗せたゴンドラは、まもなくして一番下まで戻って来た。
ガラガラと係員が扉を開け、俺たちは慌てて飛び降りる。

「どうぞ」

係員はそう言って、待っていたカップルを俺たちの乗っていたゴンドラに押し込んだ。
いつの間にか観覧車には行列が出来ていて、さっきまで気怠そうだった係員も、
目が覚めたのか生き生きと働いていた。

「次は、何に乗る?」

無意識のうちに由衣の右手を握り締めていたことに、その時やっと気付きながら俺は尋ねた。
由衣の左手は、気の毒なくらいに冷たかった。
俺は、早く暖まると良いな、なんて思いながら、由衣の返事を待った。

「学校」

「……は?」

俺の反応に、由衣はフフッと笑ってみせた。

「良いから、行こ」

俺は言われるがままそれに従った。
学校は、この遊園地からは若干遠かった。
が、歩いて30分ほどでそこまで辿り着けた。
この辺りは一応この町で一番栄えている場所だったので、
学校も遊園地も病院も主要な建物は全てこの辺りに集中していた。

学校に着くと、既に門は閉まっていた。
校舎の時計を見ると、まだ夕方四時だったが、テスト期間中ということを思い出して、
そんなもんかなと俺は一人で納得していた。

「中、入ろう」

俺の返事を待たずして、由衣は門の鉄柵によじ登る。

「おいおい、怒られるぞ」

「大丈夫、絶対見つからないから」

──何を根拠にそんな自信たっぷりと。

それにしても、門をよじ登る際に、その、なんだ。
ほら、あれだ。
足を、こう、柵にかけて上るだろ?
だから、なんていうか、あれだ。
微妙にスカートが──

「ゆうも、早く」

「あ、あぁ」

我に返って、俺は慌てて柵を跨いだ。

門の上から飛び降りると、微妙な砂煙が宙を待った。

由衣は、校舎に入ろうと言ったが、鍵がかかっていたので、中に入ることは出来なかった。
まぁ、当然と言えば当然だろうけれど。
門も閉まってたぐらいだしな。

──それにしても、静かだ。
誰もいない学校が、こんなにも閑静なものだとは思わなかった。

「静かだね」

俺は、思わず笑った。
由衣が俺と全く同じことを考えていたからだ。

「なんで笑うの?」

「別に」

不貞腐れる由衣をよそに、俺はまだ笑い続けていた。
同時に、何かよく分からない感情が胸に込み上げてきていた。
すぐにそれが愛しさなんだと悟った。

「由衣」

名前を呼ばれて、由衣は顔を上げた。
俺は、照れ臭くなって言おうとしていた言葉を喉の奥に飲み込もうとした。
が、それではいけないと思い、なんとかそれをとどめた。

そして、勇気を出して口を開いた。
昨日みたいに噛むなよ、と何度も自分に言い聞かせながら。

「好きだよ」

言えた、と俺はホッと息を吐く。
よくよく考えれば噛むような台詞じゃないのだが、
俺はそれでも何故か得意気に笑みを浮かべていた。

「私も、好きだよ」

由衣が俺を見て、そしてクッと背伸びをした。
頬に、柔らかい感触があった。
由衣の唇だと気付いた。
見ると、由衣は恥かしそうに顔を赤らめていた。
それでいて何処か嬉しそうだったその表情は、また何処か物寂びしそうでもあった。
その後中庭に移動し、ベンチに腰掛けて他愛のない話に花を咲かせていた俺たちは、
日が沈んでくる頃になって、ようやく学校を去ることにした。

「ねぇ、覚えてる?私たちが初めて会った場所」

帰り道、由衣が俺に尋ねた。

「初めて会った場所?」

学校じゃないのかな、と俺は首を傾げながらそう答えると、由衣は残念そうに溜め息を吐いた。

「やっぱ、覚えてるはずないか……」

学校以外の何処かで会ったことがあったのだろうか。
ああでもない、こうでもないと考えを巡らせたが、すぐに思い出すことは出来なかった。

「……ごめん」

「良いの、気にしないで」

由衣は、笑ってそう言った。
駅へ向かう途中、立ち入り禁止の区域があった。
工事でもしているのかと思い、俺たちは遠回りで駅を目指した。
駅の建物が見えたところで、唐突に由衣が歩みを止めた。

「どうかした?」

「私、行かなくちゃならない所があるの」

寂しそうに、笑顔。
今日だけで何度も目にした表情だった。

「そっか……じゃあ、ここでお別れな」

「……うん」

少し強い風が由衣の髪を揺らした。
サラサラと綺麗だった。
いつの間にか灯り始めた街灯が由衣を、そして俺を照らしている。
舞台の上のスポットライトみたいなそれは、
これが現実なのか、それとも戯曲なのか、その境目を曖昧にさせる。
まるで、二人の間の時間が止まっているかのようだった。

──どれくらい見つめあっていただろう。

ようやく由衣が口を開いたのは、俺がそんな風に思った時だった。

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