オリオニア(16)
「よるもおそめのかーえーりーみち♪」
今日は、素晴らしいまでの晴天。
こんな日は、何処までも晴れ渡る空に向かって歌を歌いたくなる。
いや、既に歌っている訳だが。
「ご機嫌だな」
ガタッと扉の開く音がしたかと思うと、太一の声が響いた。
フェンス越しにグラウンドを見下ろしていた信也は、屋上の入口の方を振り返って答える。
「よ、太一」
「よっ」
扉を閉めて、太一が信也の方へ歩みを運んだ。
冷たい風が吹いて、太一が小さく身震いをする。
「寒いな、さすがに12月にもなると」
「そうだな」
「お前は、こんな寒い中、脳天気に何歌ってたんだ?」
「脳天気でもねぇよ」
「まぁ、なんでも良いけど」
「ジャイアントネズミの、新曲だよ」
小さく笑いながら答えると、それに合わせて白い吐息が
凍て付く空気の中へと溶けて消えて行った。
「あぁ……新曲出たのか、今度聞かせてくれ」
「OK」
「あはは、二人とも本当に好きだよね、そのネズミさんの歌」
不意に、屋上入口の真上から声が響く。
太一が見上げると、そこには由美の姿があった。
「なんだ、倉橋さん、居たんだ」
「さっきから、ずっと」
微笑みながら由美が答える。
不意にスカートの裾が風にバタバタと揺れたので、太一は慌てて目を逸した。
それを見た信也は、おかしそうに笑った。
「松本さんは?」
信也が尋ねると、太一は苦笑いを浮かべ答えた。
「もうすぐ来るよ」
「そっか」
信也と由美が付き合い始めたのは、修学旅行も後半、
由美の誕生日でもある十月二十八日のことだった。
その日から早くも一ヶ月半が経過していたが、
最近では昼休みに太一、香苗を含めた四人で校舎の屋上に集まって
他愛もない話をするのが日常となっていた。
「お待ちどうさまー」
ガラガラと扉を開きながら、現われた香苗が言う。
「誰も待ってないけどねぇ」
入口の上から足をブラブラとさせながら由美が意地悪く呟いた。
「あ、ひど。いつからそんなに偉くなったのかなー倉橋由美様は」
「冗談だって」
「あったりまえでしょ」
二人のやり取りに、信也が思わず噴き出して笑うと、由美もそれに釣られて笑った。
「あぁ〜あ、何、何?出来たてホヤホヤのカップルさんは、
何もかも楽しそうで羨ましいですねぇ」
香苗が不貞腐れて言うと、太一がそれに慌てて喰い付いた。
「待て待て待て、それは、付き合って何か月も経つと楽しくなくなるみたいな、俺に対する新手の嫌味か?」
「……あら大森君にしては、察しが良いわね」
「て、てめぇ……」
「あはは、くだらないことでケンカ始めないでよね」
いつもの通り、由美が横から茶化しを入れる。
いつも、だいたいこれで話が丸く収まる。
二人の些細な口論も、ありふれた日常茶飯事的な光景、という訳だ。
「それにしても、二人とも、付き合ってからまだデートしてないんだろ?」
「最近毎週日曜練習試合だから大変なのよ、ね、由美」
「うん……ごめんね、信也君」
「いや、別に良いよ」
信也は笑顔でそう答えた。
とはいえ、正直な話、早くデートに行きたいのが信也の本音ではあるのだが。
「こないだの修学旅行明けの大会で二回戦負けしちゃったから、
顧問が『強くなるんだー』って、急に燃え始めたんだよねぇ」
「私たち、弱いもんねぇ」
香苗の言葉に、由美は苦笑いを浮かべながら言った。
香苗は、それに不満そうに答えた。
「あの時は、セッターの梓が怪我しちゃったから負けただけよ。弱くなんてないんだから」
梓、という名前に信也は思わず反応を示した。
信也は修学旅行の時、梓から告白されていたのだ。
ただ、反応してしまったことを悟られないように
信也は咄嗟に思い付いた疑問を口にする。
というのも、梓が思いを寄せていた人物が誰かということを他の誰にも話していなかったからだ。
「やっぱり、セッターって大事なの?」
「あったりまえでしょ。サッカーで言えば、ゴールキーパーが居なくなるようなもんなんだから」
「……そうなのか、太一?」
信也が話題を振ると、太一は困ったように首を傾げた。
「いや、よく分からん」
「もう、大森君、サッカー部のキャプテンでしょ?」
「いや、俺はむしろサッカー一筋だから、バレーボールはよく分からないんだよ」
「お前はサッカー馬鹿だからな、サッカー馬鹿」
信也の発言を聞いて、由美と香苗の二人は同時に噴き出して笑った。
それを見て太一は不機嫌そうに呟いた。
「っるせぇよ」
「まぁ怒んなって、悪い意味じゃねぇよ」
「じゃあ、どういう意味だよ」
「何か一つのことに夢中になれるってのは、格好良いことだろ」
「……そうか」
意外にあっさり納得されたので、信也は驚いた。
単純な馬鹿なだけに、意外と話に乗せやすいのだろう。
単純な馬鹿なだけに。
「そういうお前は、何か一つのことに夢中になったりしてないのかよ」
太一に尋ねられ、信也は思わず考え込んでしまう。
何か夢中なこと。
しばらく考えてようやく一つの答えに辿り着くとほぼ同時に、由美が口を開いた。
「信也君が夢中なのは、“あれ”だよね、“あれ”」
言いながら、由美は空に向かって指差した。
「……“あれ”だね」
「……“あれ”?」
由美の指の先には、太陽が輝いているばかりで、
目を凝らして太一と香苗は空の方を隅々見渡していた。
「何だ、“あれ”って」
「“あれ”って何のこと?」
全く何の話か理解出来ない様子の二人を見て、由美は満足そうに微笑んだ。
信也も、まるで二人だけの秘密を共有しているみたいで、
何より考えていることが由美との間でだけ以心伝心したことが嬉しかった。
由美が指差していたのは、太陽だ。そして、空だ。宇宙だ。
信也は、天体に憧れを持っていた。
由美が指差していたのは、紛れもなくそれだったのだ。
「“あれ”……?」
太一が、眩しそうに空を見上げながら呟くので、信也は思わず笑みを零した。
「何がおかしいんだよ」
「いや、別に」
不貞腐れて言う太一に、信也は苦笑いを浮かべて答えた。
「なんだよ、ったく」
──キーンコーンカーンコーン
不意にチャイムが鳴り響いて、信也は驚いて携帯に手を掛ける。
時計の表示は既に始業の時間を指し示していた。
「やっべぇ、教室戻るぞ」
「おぅ」
太一は頷いて、二人は慌てて屋上を後にする。
「あ、ちょっと、待ってよ!」
由美はそう言って、入口の上から急いで降りると、屋上から立ち去ろうとした。
しかし、それを香苗が呼び止める。
「ねぇ、由美」
「何?早くしないと先生に……」
「あのことは、村上君に言ったの?」
由美の台詞を遮って香苗が言った。
由美は香苗の言っていることをすぐに理解したらしく、思わず黙り込んで俯いた。
「言ってないの?」
由美は小さく頷いた。
「言いにくいのは分かるけど……言わなきゃ駄目だよ」
「……うん」
香苗は由美の肩をポンと叩くと、ニッコリと笑ってみせた。
由美もそれに微笑みを返したが、どことなくぎこちなかったに違いない。
それでも由美の笑顔に満足したらしい香苗は、入口の扉を開けて屋上を去って行く。
開いたまんまの扉からトタトタと階段を駆け降りる音が響いた。
ふと、冷たい風が由美の前髪を吹き付ける。
思い出したように由美が空を見上げると、そこにはたった一つの太陽が、厳かに輝いていた。
次へ
戻る