オリオニア(14)


京都タワーに着いたのはそれから1時間経ってからだった。
三人で商店街を回った後、集合時間になったのでバスへ戻るや否や京都タワーへ向けてすぐにバスは出発した。
展望台に着いた頃には、日はすっかり暮れてしまっていた。
窓の向こう側で、街灯りがゆらゆらと揺らめいている。
それはまるで星空のように光っていた。
「うわー、綺麗」
京都の夜景を見下ろしながら、由美が囁いた。
「綺麗だと思わない?」
「星、見えないな」
信也の返答を聞いて、由美は笑った。
「もう、村上君星のことばっか」
「わ、悪いかよ」
少し恥ずかしくなって、信也は苦笑いしながら言った。
「ううん、別に。でも……」
「でも、なんだ」
「せっかく女の子と夜景見てるのに……」
由美が何を言おうしたのかを察して、信也は小さく息をついた。
「悪い」
信也が素直に謝ったので、由美は驚いて信也の顔を覗きこんだ。
「うん、綺麗だな、夜景」
「……今更遅い」
言って、由美が笑った。信也もそれにつられて笑みをこぼした。
「なーにいちゃついてんだか」
不意に背後から声をかけられて、二人は驚いて後を振り返った。
梓だった。
「い、いちゃついてなんか……」
由美が頬を少し紅潮させながら否定する。
梓はそれを気にする様子もなく続けた。
「ゆーちゃん、香苗ちゃんが呼んでたよ」
「え?私を?」
梓は黙って頷いた。
「あっちで待ってるから、すぐ行ってあげて」
梓がエレベーター乗り場の方を指差して言った。
「うん、分かった」
由美は、言われるがままに香苗の元へ走って行った。
「ふぅ……行った行った」
梓のその発言に、信也は首を傾げた。
信也のそんな表情に気付いたのか、梓は慌てて窓の外の景色を眺めた。
「夜景、綺麗だね」
心なしか、声が震えている気がした。
「ん、あぁ、そうだな」
「……楽しくない?」
「え?」
急に訳の分からないことを尋ねられて、信也は返答に困った。
何も答えられずにいると、梓が言った。
「私とじゃ、楽しくない?」
「何だよ、突然……」
「やっぱり、ゆーちゃんとじゃないと、ダメ?」
「何が言いたいんだよ」
少し苛立ちながら信也が言った。
梓は、少し戸惑うように信也から目を逸らした。
「ゆーちゃんのこと、好きなんでしょ?」
「な、何言ってんだよ……」
「ゆーちゃんは……村上君のこと好きらしいよ」
「……誰が言ってたんだ、そんなこと」
返事はなかった。
代わりに、梓は信也の顔を覗きこんだ。
「私だって……」
梓は、小さく息を吸い込んだ。
「私だって、村上君のこと、好きなのに……」
声が震えていた。
一瞬何を言われたのか分からずただ呆然としていると、梓は堪え切れずに口を開いた。
「……ごめん」
「いや、それは……」
「私じゃ、ダメだよね」
俯きながら囁いた。
やっと、さっきから梓の言おうとしていた全ての意味を理解した気がした。
いや、想いを告げられる前に気付くべきだったのだろうか。
そうだとしたら、どうにも遅過ぎる。
「ごめん」
「村上君が謝らないでよ……」
「……ごめん」
しばらく、沈黙が続いた。
いや、周囲はざわざわと賑わっていたけれど。
しかし、二人の耳にそんな雑音は届いていなかった。
「……許さないからね」
「え?」
驚いて聞き返すと、梓は小さく笑って答えた。
「ゆーちゃんを泣かせたら、私が許さないから」
「……うん」
それが心からの笑顔ではないことを、信也は知っていた。
だからこそ、信也は力強く頷いてみせる。
窓の外では、遥か遠くで店々のネオンサインが煌いていた。
その街灯りを、信也と梓の二人はしばらく無言で眺めていた。
というより、梓に対して何と声を掛ければ良いのか、信也には分からなかった。
不意に、トタトタと足音が近づいてくる。
後ろを振り返らなくても、直感的に由美だと分かった。
「ねぇ、あっちゃん。香苗ちゃん別に私のこと探してなかったみたいなんだけど」
「あれ、じゃぁごめん、私の勘違いだったみたい、あはは」
夜景から目を離して、梓が答えた。ぎこちない笑顔だった。
それが、信也の心を苦しめた。
悪いことをしたような、だけど、どうしようもないもどかしさ。
ただ一人事情を知らない由美は、その梓の作り笑いに気が付く様子はなかった。
「ごめんね、お二人仲良く夜景眺めてたとこ邪魔しちゃって」
作り笑いのまま、梓が言う。
どこまでが本音なのか分からないが、梓のその言葉は、
幾分か本音を含んでいるような柔らかさを持っていた。
「べ、べつにそんなこと……」
恥ずかしそうに、由美が顔を赤くする。
それを見て、梓は少し羨ましそうな目を由美に向けた。
信也の方を見ないまま梓が囁いた。
「村上君」
「……何?」
俯いた顔を上げて信也の方を見た。
満面の笑みを浮かべていた。
「がーんばってねー」
明るく振舞いながら信也の肩をポンポンと叩くと、梓は二人の元を逃げるように走り去っていった。
その時の梓の瞳に、うっすらと涙が滲んでいたことに、信也はしっかりと気が付いていた。
「な、何を頑張るんだか、ねぇ」
苦笑いを浮かべて由美が促した。
信也は、小さく笑ってから、
「頑張んねぇとな」
と呟いた。
「え?」
よく聞き取れなかったらしく、由美が聞き返してくる。
「いや、なんでもねえよ」
「……なーんか怪しい」
「本当、何でもねぇよ。それよりさ」
信也は思い出したように服のポケットを探った。
ズボンのポケットから小さな包みを取り出すと、無言でそれを由美に渡した。
眼下を、小さな無数の車のヘッドライドが通り過ぎていく。
「何、これ?」
驚いたように、由美が尋ねた。
「携帯ストラップ。さっき、倉橋さんと商店街で逸れた時に、土産物屋で買ったんだ」
「……私にくれるの?」
「うん」
「良いの?」
「そのために買ったんだよ」
由美が、ひるんだように口を噤んだ。
そして、手のひらに乗せられた小さな包みをマジマジと眺める。
「今日、倉橋さんの誕生日だろ」
チリンチリン、と袋の中から鈴の音が響いた。
由美は、また驚いたような表情を浮かべて顔を上げた。
「あ、いや、前にほら、夏休み前くらいにさ、
 さそり座見てて、『私さそり座なんだー』とか言ってたじゃん、
 その時に誕生日聞いたんだよ、確か、ほら」
慌てて信也が付け足した。
照れくさくなって、顔が熱く火照る。
それがバレないように、信也は由美から目を逸らし食い入るように街を見下ろした。
「……覚えてたの?」
「ん……まぁ」
由美が、小さく笑った。
「ありがとう」
「いや、別に……ってか、そんな安物でむしろごめんだよ」
「ううん、嬉しいよ」
「喜んでくれたんなら……こっちも嬉しいけど」
「大切にするね」
「あ……うん、大切にしてやってくれ」
「開けても良い?」
「……良いよ」
ガサガサ、と由美は包みを開けた。
土産物屋のおばちゃんに薦められた、星やらハート型やら
いろんな飾りの付いたストラップをマジマジと見つめながら、
由美は嬉しそうに微笑んだ。
「K、Y、O……京都、だって」
小さな銀色のプレートに刻まれた文字を見て呟いた。
「一応、京都土産だし」
「へぇー、ありがとう」
由美はポケットから携帯電話を取り出すと、それをすぐに取り付け始めた。
信也は、そんな由美の様子を見つめながら言った。
「今度、どっか連れてってやるよ」
「え?」
携帯電話を握り締めたまま、由美が顔を上げる。
「いや、誕生日プレゼント、もっとちゃんとしたの買ってやるからさ」
「えぇ!? 良いよ、私はこれで十分だし」
「……俺が良くないんだよ」
「え……」
信也は息を呑んだ。手が震えている。
柄にもなく緊張しているらしい。
脳裏に梓の寂しそうな笑顔が浮かんだ。
言うなら、今しかないのだろう。
ずっと、気付かない振りをしていた。
本当は気付いていたはずなのに、だ。
自分の本当の気持ち。
いつか香苗に“好きな人はいるのか”と尋ねられたことがあった。
その時、信也は何も答えることができなかった。
でも、今は違う。
今なら、きっと答えられる。
梓のおかげで、気付かされたのだ。
逃げていた自分に気付かされた。
だからこそ、今ここで逃げる訳にはいかない。
梓のためにも、由美のためにも、そして何より自分のためにも。
「村上君……?」
心配そうに、由美が信也の顔を覗き込む。
信也は心配させまいと、無理に笑顔を作って見せた。
「急にごめんだけどさ」
信也は、覚悟を決めて由美の目を見つめた。
由美は信也が真剣であるのを悟ったのか、目を逸らさずに信也と対峙した。
「好きなんだ、倉橋さんのこと」
自分で、自分の声が少し震えているのに気付いた。
我ながら格好悪いと思ったが、言いたいことは言えたのだから、良しとしよう。 そう思った。
「え……?」
呆然として、由美は首を傾げる。
エレベーターの方で、誰かの笑い声が聞こえた。
由美は困ったように俯いて、信也から貰った携帯ストラップを見つめた。
「……本当に?」
「……うん」
信也は、ゆっくりと頷いた。
まだ、心臓が慌てふためいたように脈打っている。
血液が心臓に方に流れすぎて、思考回路がまともに働かない。
しばらく無言のまま、時間が流れた。
向かいのビルの三階の窓の灯りが、不意にプツリと消えた。
「私、本当に何も買って要らないよ」
ようやく小さな声で由美が呟いた。
「だって、もっと大切なもの貰ったから」
由美の声が震えていた。
泣いているのかとも思ったが、信也にそれを確認する余裕はなかった。
「私も、好き」
由美が顔を上げた。
「私も、村上君のこと、好き」
瞳は涙で濡れていた。
それを誤魔化そうと、無理に笑顔を浮かべている。
そして、それからようやく信也は由美の返答の意味を悟った。
「倉橋、さん……」
混乱しそうになる頭を働かせて、ようやくそれだけの言葉を紡ぎだす。
「……由美で良いよ」
「……じゃぁ、俺も信也で良いよ」
ようやく少し安堵して言うと、由美が小さく笑った。
お互い照れくさくなって、ニヤニヤと笑いあった。
他人から見られたら、凄く馬鹿らしい光景に見えたに違いなかったが、
そんなことお構いなしに二人は笑った。
不意に、アナウンスが鳴り響く。
「鳥ヶ浜高校の生徒は、今すぐ地下一階の玄関口に集合してください、
 繰り返します、鳥ヶ浜高校の……」
「あ、もう集合時間みたいだな、俺たちもそろそろ」
気恥ずかしさに耐えかねて、信也がエレベーターの方へ振り返ろうとすると、
由美は信也の右手を掴んでそれを静止した。
「プラネタリウム」
由美が呟いた。
「プラネタリウム、行きたい。信也君と二人で」
信也は、いつか水族館に行った時の由美の言葉を思い出して、小さく微笑みながら答えた。
「うん、行こう、いつか必ず」
答えると、由美は嬉しそうに笑った。
「約束だよ」
「当たり前だろ」
照れ隠しに目を逸らしながら信也は答えた。
「行こっか」
信也が促すと、由美はコクンと頷いた。
そして、握り締めていた手のひらから、確かな温もりを感じながらエレベーターホールへと駆け出して行った。
引っ張られるようにしながら、由美はそれに付いていく。
彼女が右手に持つ携帯のストラップが、チリンチリンと小さな音で鳴り響いた。

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