オリオニア(4)
車内は、思っていたよりも暑かった。
とはいえ、幾分か冷房が効いているので、外と比べればマシだけれど。
ふと、窓を見れば、“弱冷車”というステッカーが貼ってある。
なるほど、冷房の効きが悪い訳だ。
「ふぅ、涼しい」
由美が小さな声で呟く。
どうやら、信也と違ってこの温度でも満足しているようだ。
「あ、座る?」
信也が、開いている席を見つけ、指を差しながら言った。
弱冷車だからか、他の車両よりも乗客が少ないらしい。
空席がチラホラと目立っている。
「うん、座る」
近くの開いている席に、ゆっくりと腰を下ろす。
そして、座ってから、少しだけ後悔した。
隣同士で座ったものだから、由美の顔が、妙に近かった。
よくよく考えれば、女の子の顔がこんなにも近くにある状況なんて、
幼稚園か小学校の低学年以来経験したことが無い。
って、これじゃぁ太一を馬鹿に出来ないな、自分も。
なんて心の中で溜め息をつく。もう一回、深呼吸。
あまり大きく息を吸うと、由美に変に思われるから、出来るだけ静かに深呼吸をする。
今度は、イライラを抑えるためじゃなくて、ドキドキを抑えるためだ。
──なんだか、ちょっと自分が情けなくなってくる。
「村上君は……部活とかやらないの?」
「まぁ……今更やっても、遅いだろ、もう高二の夏だし」
当たり障りのないように、適当にお茶を濁す。
「遅い……ってことは、何かやりたい部活はあったの?」
──しまった。話を誤魔化すのに失敗した。
「まぁ、ね」
「天文部とか?」
──しかも当てられた。
まぁ、星が好きだ、という話を昨日したところだったから、当然の予想かもしれないが。
「まぁ、ね」
「どうして入らなかったの?」
「いや、そもそも、天文部って部活、聞いたことある?」
「え……そういえば、無い、けど」
目を合わせないように、窓の外の長閑な田園風景を見つめながら、信也は続けた。
「まぁ、聞いたこと無いの当然だけどな、そんなクラブ無かったから」
「あ……」
ちょっとバツが悪そうに、由美が苦笑いを浮かべた。
ガタガタと線路を軋ませながら、電車は田畑の合間を縫うように走っていく。
窓の遠くの方を、大きな赤と白の鉄塔が通り過ぎていった。
「ごめん」
「何で、謝るんだ?」
小さく笑いながら、視線を由美の方に戻した。
「何か、まずいこと聞いたかな、とか思って」
「いや、別に、全然まずくも無いけど」
「でも……」
偉く小さなことを気にする子なんだな、っと信也は思った。
本当にどうでも良い話なのに。
不意に、電車がカーブに差し掛かって、車輪がキーッと嫌な音を立てる。
ちょっとバランスを崩して由美の方に
もたれかかってしまいそうになるのを信也は頑張って堪えた。
外の景色が、段々と都会に近づいていくに連れて、
建物が流れていく速度が徐々にゆっくりになっていく。
どうやら、もうすぐ次の駅に着くらしい。
少し息をついてから、信也はようやく話を続けた。
「本当に天文部とか入りたいんだったら、先生に頼み込んで、自分で作ってでも入ってたよ」
「……それも、そうだよね」
“高良ぁ、高良です”
駅員の、何だかやる気のない声が、車内に響き渡る。
数人の人が座席から立ち上がって、扉の方へ向かって歩いていった。
進行方向左側の窓の外に、見慣れた、というよりむしろ見飽きたホームが迫ってくる。
ゆっくりと電車が止まり、右側の扉の前に立っていたおばさんが、慌てて反対側へ移動した。
「明日から、夏休みかぁ」
開いた扉から、ムワッとした熱気が入り込んでくる。
やっぱり、外は暑いようだ。
「私は、部活漬けで、ほとんど休みも無いけどね」
「あぁ、そっか。運動部は、大変だよなぁ」
よくよく考えると、太一の奴も、運動部だ。
香苗とデートする暇はあるんだろうか、とか思ったが、
あいつのことだから、練習が終わった後でもデートしに行くだろう。
体力だけは、馬鹿みたいにありやがるからな。
馬鹿なだけあって。
「まぁ、大変だけど、好きで運動部入った訳だし」
「でも、遊びに行く暇も無いんじゃない?」
「ううん、無くもないけど」
「そうなの?」
「お盆は練習ないし。午前練習の日は、午後から遊びに行けるし」
ようやく扉が閉まって再び電車が動き出した。
電車のモーターの音が、ブーンと鳴り響いている。
チラッと窓の外を見ると、仲の良さそうなカップルが、
階段の方へ向かってと手を繋いで歩いているのが見えた。
「午後から遊びにって、体力的にキツくないの?」
「ううん、別に慣れてるからね」
「マジ?俺だったら、絶対無理だなぁ」
「ちょっとくらい、村上君も運動したら?」
少しからかうような口調で由美が言う。
信也は、小さく笑いながら、気が向いたらね、と答えた。
「せめて、遊びに出かけたりする友達が居ればねぇ」
「大森君とかは?いつも仲良いでしょ?」
「あいつは、松本さんとデートで忙しいっしょ」
「あ、あぁ、そっか……ってことは、村上君、彼女居ないの?」
──しまった。まぁ、バレても良いけど。
でもなんだかちょっと惨めな気分だ。
「居ない」
「ふうん」
「な、何だよ。その、居なくて当然か、みたいな反応は」
「え、いや、別に、そういう訳じゃないけど」
図星だったらしい。余計に惨めな気分になるじゃないか。
──仕返ししてやる。
「そっちはどうなんだよ、彼氏居るの?」
「あ、え、その、えっと、私は、ほら、部活で忙しいし」
「言い訳無用」
「言い訳じゃないって」
「言い訳だろ」
「違うよ」
「そうムキになるな」
「違うってば」
──やっぱり、人をからかうのって面白いなぁ。
からかわれるのは、嫌いだけど。
「ま、じゃぁそういうことにしといてやるよ」
「何それ、もう……村上君、性格悪っ」
由美がちょっと頬を膨らませる。
まるで、子供みたいな怒り方をする奴だ。
これはこれでからかえそうだが、さすがにもうやめておこう。
マジで殴られそうな勢いだ。
「ごめんって、怒るなよ」
「怒ってない」
「怒ってるだろ。彼氏居ないからってそうカッカしないで。
あ、そうだ、何だったら俺が彼氏になってやろうか?」
「はぁ?」
凄い形相で、彼女が睨みつけてくる。
やばい、火に油を注いでしまったようだ。
やっぱり怒っている時に冗談は言わない方が良いらしい。
よく覚えておこう。
さすがに、まだ死にたくはない。
「いや、冗談です、はい、ごめんなさい」
「……」
まだ、怒ってやがる。意外と短気な奴だ。
いや、まぁ、自分が悪いんだけど。
「とりあえず、機嫌治してくれよ、な、ごめん」
「怒ってないもん」
ダメだ。可愛い顔して意外に頑固な奴だ。
「なんかオゴるから」
「……なんかって?」
「別に……飲み物でもアイスでも何でも」
「じゃぁ、アイス。ハーゲンダッツの」
──マジでオゴるのかよ。
しかも、ハーゲンダッツとは、遠慮のカケラも無い奴だ。
言い出したからには仕方がないけれど。
「わ、分かったよ、それ、オゴるから」
「え、本当に?」
由美の表情に突然笑顔が戻ってきた。
こいつは、食い意地が張っているのか?
まぁ何にせよ、この際腹をくくるしかないようだ。
「マジでオゴるよ」
「わーい、やったー」
嬉しそうにはしゃぎながら由美が言う。
それにしても、たった三百円で機嫌が治るのか。
単純な奴だなぁ、っと、口に出しそうになってそれを慌てて抑える。
危ねぇ、また怒らせるところだった。
「そういや、倉橋さん、降りる駅、下鳩井だよね?下鳩井中学出身って言ってたし」
「え、あぁ、うん、そうだよ」
「俺も、下鳩井で降りるから、駅前のコンビニで買うよ」
「分かった」
まぁ、何はともあれ、機嫌が治ったみたいだし、良かった良かった。
会話が途切れたところで、ふと窓の外を見上げてみる。
白い小さな雲が見えた。その奥は、綺麗な青い空が広がっている。
山、田んぼ、森、そして空。
なんとも言えない、穏やかな風景だ。
朝が嫌いな信也にとっても、それはなんだか心に残る、綺麗な景色だった。
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