ジョーカーと僕のカノジョ(1)
2007/10/28 公開


 ババ抜きやらない?──

そう言い出したのは、右手にプラスチック製のトランプケースを携えた香苗だった。
カタカタと中身のカードで音を鳴らしながら、香苗は満面の笑みで僕を見た。

 二人でババ抜きなんてなぁ──

不満を漏らしながらも、気が付けば僕の手は彼女が握り締めていたそのトランプケースに伸びていた。
香苗は、トランプで遊ぶのが好きだった。
昨日までは毎日七並べをして遊んでいた。
二人で七並べはどうかと思うのだが、彼女が喜ぶので僕も仕方なくそれに付き合っていた。
しかし、今日は七並べではなくババ抜きをやろうと言い出したので、なんだか新鮮な思いがした。
二人でやるババ抜きも、たまには良いかもしれない。
それに、香苗はトランプが大好きだから、断れば不機嫌になるのを僕は知っていた。
それだけじゃない。
彼女のことなら大抵のことは知っていた。
というのも香苗は、付き合ってもう五年になる恋人だからだ。
そのうえこのアパートで同棲を始めて一年近くが経つ。
彼女の性格はほぼ熟知していた。
僕は四畳半の部屋をざっと見回して、真ん中にあったコタツに視線を止めた。
二人でトランプをやる会場はいつもそのコタツの上だった。
テレビの前から這うように移動してコタツの前に座った。
香苗も同じようにして僕の向かい側に腰を下ろした。
電源の入っていない冷たい毛布の中に足を投げ入れる。
コタツの中で香苗の細い足と僕の毛むくじゃらの足がぶつかった。
おそらく朝、隣りの部屋で僕がぐーたら眠っている間に掃除していたのだろう、コタツの上は綺麗に片付けられていた。
天板の上にトランプをぶちまけて、そのままグチャグチャとシャッフル。
整えて、一枚一枚丁寧に配る。
香苗はそんな僕の手付きを楽しそうに眺めていた。

問題に気付いたのは、ババ抜きも佳境に入った頃だった。

 テッちゃん、手札あと六枚?──

香苗が尋ねるので、僕は目で枚数を数えた。
六枚だった。そして、同時に異変に気付いた。
香苗の手札も六枚だった。
ババ抜きというのは、必ず最後にジョーカーが残る。
それ以外は二枚でペアになるのだから、手札の枚数は合わせて奇数でなければならない。
数学的に言えば、グーキがイッチしない、だとか言う状態になるはずなのだ。
目を見合わせて、ババ抜きは中断された。
お互いの手札を見せ合うと、どちらの手札にもジョーカーがなかった。
グチャグチャにしていた捨て札の一枚一枚を調べあげたが、見当たらなかった。
トランプケースをひっくり返してみても、出て来るのは細かい埃ばかりだった。
そういえば、昨日まではずっと七並べをやっていたが、七並べではジョーカーを使わない。
いや、ジョーカーを使う七並べもあるのかもしれないが、僕たちの七並べはそれを使わないルールだった。
つまりは、ここ最近ジョーカーを見た記憶がない。

 これじゃ、ババ抜き出来ないね──

つまらなさそうに香苗が言うので、仕方なくトランプを片付けた。
お腹が減ったので、昼ご飯にしよう、と僕が言うと、香苗は頷いて台所に向かった。
不意に、さっきまで香苗がいた頭上の壁掛け時計を見ると、今はもう昼の二時だった。
そこで僕は今日は四時から松屋のバイトがあるのを思い出してウンザリした。
すると、台所から香苗の呼ぶ声がした。
行ってみると、カレーライスが食卓の上にあった。
やけにご飯の準備が速いと思ったら、昨晩の残りを温めただけじゃないか。
まあ、晩ご飯がカレーの時は、始めからそれくらいのことは覚悟しているけれど。

 そういやテッちゃん──

食卓につこうとした僕を呼び止めて香苗が言った。
とりあえず僕が椅子に座ると、香苗はその向かい側に腰を下ろした。

 買い置きのカップ焼きそば、食べた?──

僕は記憶を辿ってみたが、思い当たる節はなかった。
首を振ると、香苗は眉をしかめた。
まるで僕が嘘を吐いていると決め付けているような表情だった。
本当だと僕が力説したが、香苗は信じていないようだった。

 UFO、二つ買い置きしてたのに──

さぞ食べたかったと言いた気な表情で香苗は右手にスプーンを持った。
左利きの僕は左手にスプーンを持って、香苗の鏡のようにカレーを食べた。
空腹がカレーで満たされてくると、香苗の機嫌も治ったのか、次第に笑顔が戻っていった。
僕は昼食を終えると、バイト行って来るよ、と言って食器を持って席を立った。
食器を流しに出して、口を漱いで台所を出ると、香苗は微笑みながら、いってらっしゃいと言った。
僕はそれに行って来ますと返事をした。



家に帰り着いたのは、夜の三時半だった。
松屋のバイトを夜の九時で切り上げた後、十時から三時までコンビニの深夜バイトが入っていた。
二○三号室の玄関を開けて中に入ると、台所の灯りが点っているのが見えた。
まだ香苗は起きているのかと思って、玄関から三番目の部屋、つまり台所に入った。
机に突っ伏して、香苗は小さな寝息を立てていた。
食卓には結婚式場のパンフレットが積み重ねられていた。
そのうちの一冊はページが開いたままになっていて、ドレスを着た綺麗な女の人が嬉しそうに僕を見ていた。
香苗は、前々から僕と結婚したがっていた。
というよりは、ウェディングドレスに憧れているらしかった。
前々から結婚式場のパンフレットを眺めるのが香苗の楽しみの一つになっていた。
でも僕はまだ正面な仕事についていないという理由で結婚するのを躊躇していた。
バイトを続けながら仕事を探しているが不景気なご時世仕事なんて見つからない。
だから、今年中には仕事を見つけたいと僕は思っていた。
──何度も読み替えしたのだろう、ボロボロになったパンフレットを僕はそっと閉じた。
表紙のモデルの女の子が、香苗に少し似ていた。
ドキリとして、僕は慌てて目を逸した。
寝顔の香苗を見た。
今すぐ抱き締めてやりたいぐらいむちゃくちゃ可愛いかった。
しかし、それは理性でなんとか抑えつける。

 少し寒いかな──

身に着けていたコートをおもむろに脱ぐと、僕はそれを香苗の背中にかけてやった。
寝室に戻って寝ようと思い、電気を消そうとした僕に、香苗がありがとうと囁いた。
僕は嬉しくてニヤニヤしながら、どう致しましてと呟いた。

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