時の欠片(13)
2008/02/06 公開
あの時の少女が、由衣だったとしたら。
正直、自信はなかった。一か八か。
考えている時間はない。
俺は、走り出していた。
失われていく感覚が、幸運にも息苦しいのを紛らわせてくれた。
しかし、俺はまっすぐに走れなくなっていた。
時々ヨロヨロと倒れそうになりながら、公園を目指した。
駅から学校との間の道からは離れた場所にあったので、すぐには辿り着けなかった。
感覚が鈍っていく。
タイムリミットが近付いていた。
──間に合うのか。
俺は不安になった。
由衣は、きっと一人で死ぬつもりだ。
俺が、もし由衣と初めて出会った時のことを、尋ねられた時に思い出していたら──
きっと由衣はそこへ行きたいと言い出したに違いない。
しかし俺は思い出せず、由衣は一人で公園へ向かった。
ふざけんな──
心の中で、俺は由衣に毒づいた。
もしまた会えたら、絶対に文句を言ってやる。
会えなかったら──
俺は首を横に振った。
その反動で、頭から地面に倒れ込んだ。
もう、痛みは感じなかった。
立ち上がり、公園へ走った。
いつの間にか雪がちらついていた。
俺は、涙と雪でドロドロになりながら急いだ。
──見えた。
胸が早鐘のような音を響かせた。
もう感覚はないが、音だけは聞こえた。
着実に一歩を踏み出しながら、進んだ。
由衣がいることを願った。
後少しと自分に言い聞かせているうちに、ようやく公園の入口まで辿り着いた。
薄暗くて、中の様子は分からない。
俺はブランコを探した。
そして近付く。誰かの気配がした。
「由衣」
「ゆ……う……」
由衣は、ブランコに揺られていた。
俺はそっと由衣の頬に触れた。涙の感触がした。
「どうして……」
嗚咽を交えながら、由衣はそう漏らした。
俺はなんとか笑顔を繕ってみせた。
ちゃんと笑えているかどうか、不安だった。
「一人で、死なせるかよ」
俺が言うと、ボロボロと由衣の瞳から涙が零れ落ちるのを感じた。
そして、そんなことを言いながら、俺は自分の理不尽さに気付いていた。
由衣を殺したのは、俺だからだ。
俺はすぐに申し訳なさで頭が一杯になった。
「ごめんって言っても許して貰えないだろうけど」
俺は、由衣から目を逸した。視界が滲んでいる。
俺もまた泣いていたことを知った。
「由衣を殺したのは、俺なんだ」
由衣は、黙っていた。
言うべきではなかったかもしれないと、唐突に後悔が押し寄せた。
そんなことを知らされて、由衣はなんと反応するだろう。
逆に不安にさせるだけじゃないのか?
そこまで頭が回らなかった自分に嫌気がさした。
しかし、由衣はブランコから立ち上がると、無言のまま俺に抱き付いて来た。
俺は困惑していた。
「もう、何でも良いよ」
耳元で、由衣が囁いた。
「ただ……側に居てくれたら、それで良いから」
「でも、俺は……俺が殺さなかったら、由衣は悲しい思いをしなかったし、それに……」
「もう、何も言わないで」
俺の言葉を遮って、由衣は言った。
由衣は、俺の胸に顔を埋めて泣いた。
俺の涙は、由衣の髪を伝い、ポタリポタリと地面に落ちた。
「もう、自分を責めないで……」
その言葉に、俺は胸を抉られたような気がした。
「ゆうは、私のこと好きだって言ってくれた……私は、その言葉を信じてるから」
涙が止まらなかった。嬉しかった。
こんなことで俺の罪が払拭される訳じゃない。
それは分かっているし、それを忘れている訳でもない。
ただ、俺が由衣を好きだと言ったことを、信じてくれていることが嬉しかった。
「好きだよ」
「私も好き」
「……ごめん、な」
「もう、言わな、いで」
何かを口にすることも、限界に近付いていた。
立っていることもままならず、二人はその場に崩れた。
「昔、ね、おばあ、ちゃん、が、言って、たの」
俺は黙って耳を傾けた。
由衣は途切れ途切れに、台詞を続けた。
「人が、死ねの、はね、お別れ、じゃなくて、その人、の時が、止まるだけ、なんだ、って」
雪が、二人の体に降り積もっていく。
もう、寒いという感覚は完全に失われていた。
由衣の温もりだけが、まだこの世に残っていることの唯一の存在証明だった。
「だから、ね、私たちの、恋は、ずっと、ずうっと、終わらないの」
「あぁ、──そうだ、な」
「だか、ら──いつまでも、一緒、だよ?」
俺は、頷いた。
そして、唇をゆっくりと合わせていく。
最後のキスは、もう何の感触も感じられなかった。
ただ、たったひとつの感情が、心の奥底で渦巻いた。
──愛してる。
もう、口にすることさえも出来なかった。
意識が遠のいていく。
タイムリミットだった。
でも、俺たちは、いつまでも一緒なんだ。
死ねことは、お別れじゃなくて、時の欠片を失うだけ。
だから、二人の時間は止まったまま、いつまでも存在し続ける。
──由衣のその言葉を、今は信じたいと思う。
唇を離し、俺は最後に由衣の顔を覗き込んだ。
由衣は、必死に唇を動かしていた。
俺は、すぐにその言葉を理解して、そっと微笑んだ。
由衣は、何度も同じ言葉を囁いていた。
何度も、何度も。
ありがとう、と──
時の欠片 完
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