各駅停車が参ります'08(6)
季節は流れ夏休みに入り、本格的な夏がやって来た。
あまりに暑いので、各駅停車にゴトゴトと揺られながら海へ出掛ける日が増えた。
と言っても、泳ぐ訳でもなく、ただただ砂浜を裸足で歩くくらいだった。
二人でくだらない話をして笑ったり、水を掛け合って笑ったり。
でも夏休み終盤には二人とも海まで行く交通費を捻出出来なくなって、
街へ行くか明日香の家で話すかして過ごす日が増えた。
中学生の財政事情は色々と厳しいのだ。
その時の待ち合わせ場所はいつもあの神社だった。
明日香はいつも同じ鳥居の足元で、そして深雪よりも先にそこに居た。
夏休みに入ってからは坂を上って歩いて神社へ向かうことが多くなった。
学校からでは電車に乗った方が早く着くのだが、家からなら歩いた方がずっと早かった。
それでも坂を上るのは結構な体力がいるので、項垂れるほど暑い日は電車で行くこともあった。
あっという間に夏休みが終わって、九月になり、中間テストが終わった。
十月に差し掛かりあの高台にも紅葉が訪れようとした頃だった。
いつものように神社へ寄ってから家に帰ると、玄関で母親が仁王立ちしていた。
「どうしたの、お母さん」
「あなた、ここ最近ずっと、どこほっつき歩いてるの?」
ギクリとして、言葉に詰まった。
鬼のような形相をしていた。
まずいと思った。
深雪は空に目を泳がせながら、返答のための言葉を探していた。
母親は呆れたように溜め息を吐いた。
「学校に電話してみたんだけど、こんな遅くまで授業やってる訳じゃないみたいね。
部活にも行ってないみたいだし、どこで何をしてるの」
神社に行っている。
心の中で呟いて、その言葉を飲み込んだ。
話しても分からない。
当り前だ。
神社に行って何があるだろうか。
何もない。
普通、そう思うだろう。
かと言って、明日香との出会いをつらつらと述べるのもどうかと思った。
そもそもそれを説明して納得させることが出来るなら、
普段から帰りが遅いことで心配させないように嘘の一つくらい繕える。
深雪は話術に自信なんてなかった。
黙っているのが一番だと思った。
そうすれば、いずれやり過ごせるだろう。
玄関先でしばらく睨み合いが続いて、と言っても母親が深雪を一方的に睨んでいただけだが、
何分くらい経った頃だろうか、母親がやっと口を開いた。
いや、本当は何分も経っていなかったのかもしれない。
早くこの場を逃れたいと思っていた深雪には、途轍もなく長い時間に感じられた。
「中間テストの結果、見せてもらってないんだけど」
心拍数が跳ね上がった。
今回は特別悪かった。
よりによって、こんな時に思い出さなくても良いのにと思った。
でも、まだ返ってきてないだとか、しらを切ればやり過ごせるんじゃないかと思った。
ところが、その言い訳は母親を激昂させただけだった。
「さっき電話した時に、テストの結果聞いたわよ。ちゃんと返却した、って先生仰ってたけど」
しまった、と思った。
後悔は先に立たない。
ただ黙って俯くことしか出来なかった。
「夏休みもずっと遊んでたでしょ?
あなた成績はそんな悪くない方だったから何も言わなかったけど、
いくらなんでも遊びすぎじゃない?
とにかく、今日から外出禁止です。
土日も含めてずっとよ。あと学校がある日は4時までに家に帰ること。良い?」
「4時って……そんな!」
それじゃぁ、明日香に会えなくなる。
それだけはどうしても避けたかった。
そんなこと許されて良いはずがない。
深雪と明日香の絆を切り裂く権利なんて誰にもないはずだ。
だけど── だけどなんて説明すれば良いだろう。
どう説明すればそのことが通じるだろう。
何も良い考えが浮かばない。
悲しくて情けなくて仕方なかった。
「何言ってるの、そもそも年が明けたらあなた、受験生なのよ?
内申は今の時期が大事なのに、あんな成績じゃ良い高校に行けないでしょ」
「こ……高校なんてどうでも良いじゃない!」
「馬鹿なこと言わないでちょうだい。
あと、それから、家庭教師に深雪の勉強見てもらうようお願いしたから、
ちゃんと4時までに帰ってくるのよ」
一瞬、意味が分からなかった。
すぐにそれが明日香と会えなくなることを意味することだと理解して、
深雪は後頭部を殴られたような思いに駆られた。
「な、何よ家庭教師って、そんなの私聞いてない」
「悪いけど、もう申し込んだから、しっかり勉強しなさい」
「……嫌だ。そんな勝手許さない」
「親に向かって許さないとは何? 我がまま言わないで、言うことを聞きなさい」
怒気を含む言葉に深雪は思わず口ごもった。
ポロポロと、涙がこぼれた。
悔し涙だった。
どうしてこの人はこうなんだろう。
もはや訳が分からない。
それが本当に深雪のためになると思っているのだろうか。
いや、確かに勉強的な意味ではなるのかもしれない。
でも、勉強が全てな訳じゃない。
母親にだって中学生だった時期があったはずで、それが全てじゃなかったことくらい分かってるはずなのに。
私はいったい、どうすれば良いの?
と何度も何度も自問自答して、唇を噛み締める。
涙が止まらなくなった。
さすがの母親も少し心配そうにどうして泣いてるの?と尋ねた。
腹が立った。
あんたが原因でしょ、と心の中で吐き捨てた。
睨みつけるように母親を見た。
少したじろいだような表情を母親は浮かべていた。
「お母さんなんて……大嫌い」
一言そう口にして、そして母親を押しのけ階段を昇っていった。
自分の部屋に入り鍵を閉めて制服のままベッドに倒れこんだ。
そしてわんわん泣いた。
ごめんね、明日香。
と心の中で何度も何度も謝った。
神社へ行くことが許されなくなってから数日が経った。
噂によれば、高台に紅葉が訪れたらしい。
あの坂道の両脇の森が、色とりどりに染まっているのを想像して、明日香と一緒にそれを見たいと思った。
一日くらい── そう思って、明日香は母親の言い付けを破ることを決意した。
一度明日香に、本当のことを言っておかなくちゃならない。
母親の言い付けで、神社に来られなくなったこと。
でも、毎日じゃなくても、時間を見つけて必ずまた会いに来るから。
それだけは伝えておきたかった。
そうすれば明日香だって分かってくれるだろう。
今日一回怒られればそれですむ話だ。
事情を説明して、約束を忘れた訳ではないことをちゃんと伝えておきたい。
そうだ。そうしよう。
そう思うと、急にワクワクしてきた。
何日振りだろう、明日香に会える。
その日はずっと放課後が待ち遠しかった。
六時間目、おじいちゃん先生の眠たい授業が終わって、
大急ぎで荷物を纏め全力で教室を飛び出す。
学校から駅まで普通に歩けば20分、次の電車が来るまであと15分。
だが足の速さには自信がある。
間に合う。
学校を出て10分ほどで駅が見えた。
間に合った。
息を弾ませながら、ゆっくりとスピードを落とす。
額は汗にまみれ、髪の毛は走っていたせいでグシャグシャだった。
手で適当に整えて、駅へ向かう。
そうしたら、不意に右腕を掴まれた。
驚いて掴んだ人物を見ると、現代文のメガネハゲの先生だった。
深雪のクラスの担任だった。
ホームルームの時間に見かけないと思ったら、こんなところに居たなんて。
心の中で舌打ちをして、そしてメガネハゲの腕を振り払おうとした。
が、意外と力が強い。
中学生の女の子の力なんてたかがしれてると思った。
悔しくて仕方なかった。
「何処へ、行くんだ」
機械音声みたいに特徴のない声でメガネハゲが言った。
黙っていると、再び機械音声が聞こえた。
「以前、君のお母さんに電話があってね。
最近、担任団で交代しながら見回りしているんだよ。
いや、君以外にもこの辺で寄り道をして帰る生徒がいるらしい。
山下も、駅でよく見かけると聞いていた」
「は、離してください」
「家に帰りなさい。中学生の女の子が、しかも一人で寄り道して夜遅くに帰るなんて、
それはダメだ。何か危険にでも巻き込まれたら、学校側は責任をとれない」
責任だの何だのって、そんなの綺麗事だと思った。
でも、何も言えなかった。
何を言ったところで無駄だと思った。
どうしてみんなして私の邪魔をするんだろう。
今日だけ。一日くらい。
そう思っていたのに。神様はイジワルだと思った。
トボトボと家路につく。
街を歩きながら、そこかしこに明日香と足を運んだ店があることを知った。
クレープ屋を前を通り過ぎて、ちょっと懐かしく思った。
そう思いながら歩いていたら、道の向かいから見知った顔が現れた。
深雪が片想いしていた男の子が、女の子と一緒に歩いていた。
手を繋いでいた。
でも、以前に見かけた時ほど衝撃を受けなかった。
明日香のおかげだろう、だいぶ立ち直ることが出来ていることを知った。
男の子が、深雪に気付いた。
「山下、何してんの、こんなとこで?」
「寄り道。倉橋君も、高野さんも、気を付けた方が良いよ、向こうにうちのクラスの担任が居たから」
「え、マジで?」
「最近寄り道してる奴が多いから見回りしてるんだって、さっき見つかって怒られちゃった」
おどけて笑ってみせると、高野も一緒になって笑ってくれた。
以前手を繋いで歩いている二人を見かけた時は後姿で分からなかったが、
彼と付き合っているのは、彼女だったんだと今になって知った。
どうしようもなく納得してしまう。
女の深雪の目から見ても、それだけ彼女は可愛らしく魅力的だった。
明日香には負けるけどね、とそこだけは譲らなかった。
「山下さぁ……お前、変わったよな」
不意に、倉橋が言った。
え、っと驚いたようにして顔を覗き込むと、彼は笑顔で答えた。
その笑顔にまだちょっとドキドキしてしまう。
情けなく思えたが、それで構わないと思った。
「なんていうか……それくらい愛想良かったら、運動会の時だって何も言われなかっただろうにさ」
そう言ってから一言悪い、と付けた足した。
高野は小学校が二人とは異なるので、何の話か分からずちょっとふてくされていた。
倉橋が苦笑いで何でもないよと謝ると、
とりあえず担任に見つかるとまずいからと言って、そのまま二人は今来た道を引き返して行った。
去り際に、高野がありがとうね、深雪に言った。
深雪はそれに笑顔で手を振った。
しばらく茫然と立ち尽くしていた。
彼は、深雪のことを変わったと言った。
何がどう変わったのだろうか。
少し考えて、“それくらい愛想が良かったら”という言葉を思い出した。
愛想が良くなったという意味で変わったのだとしたら、それは明日香のおかげに違いない。
自分ではずっと昔の深雪のままだと思っていた。
明日香と会えたおかげで、ちょっとずつ明日香に近づけているのだとしたら、
それは素晴らしいことだと思った。
なんとなく嬉しくなって、深雪は街を走った。
いつか明日香と訪れた本屋も、値段予想ゲームと題して
二人でみかんの値段を確認するためだけに寄った八百屋も、
ウィンドウショッピングを楽しんでいたら店員に追い払われた宝石店も、
どんどん深雪の後方へ流れていく。
視界がだんだんとぼやけ始めたことで、いつの間にか泣いている自分に気が付いた。
思い出がたくさんあった。
明日香と出会ってもう半年くらい経っただろうか。
これからもずっと毎日会えると思っていた。
ごめん、と何度も謝った。
息があがって、胸が痛くなった。
心臓が爆発しそうだった。
それでも構わず走り続けた。
もう一度ごめんと謝ったところで、走るのをやめた。
空を見上げると、もううっすらと夜が近づいていることが分かった。
街灯が既に光を放ち始めている。
曇っているせいか、街灯のせいか、星は全く見えなかった。
額を濡らす汗がツツッと目に入って染みた。
そのせいでまた涙が出た。
いや、泣いているのはそれだけのせいじゃないことを深雪は知っている。
でも、そういうことにしておきたかった。
諦める訳じゃない。
いつか機会があれば、またあの神社へ行こう。
必ず行こう。
日にちが経つにつれ、行くのが怖くなるかもしれない。
でも、何日、何週間、何か月経ったって、明日香は待ってくれている。
そんな気がした。
必ず。必ず行くからね、明日香。
そう心に誓って大きく息を吸った。
心なしか、いつの日か味わった桜の香りを感じたような気がした。
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