各駅停車が参ります'08(4)
明日香の家は、神社から歩いて数分ほどの近い場所にあった。
ここに住んでるの、と指差したのはとても立派な門だった。
その門構えからして、とても大きな家だ。
深雪の家の軽く二倍くらいはあるんじゃないだろうか。
下手すればそれ以上かもしれない。
ついつい溜め息をついてしまうほどだ。
明日香が門を押し開けると、ギギギッと音がした。
どうぞと促され、深雪は恐るおそるその門をくぐった。
家の玄関口までは砂利道が続いていて、その両脇を緑の芝生が生えていた。
左手には池が見える。
友達の家も含めて、こんな立派な庭のある家は初めて見た。
イメージ的には、某ネコ型ロボットが主役の漫画に出てくる変な髪型をした男の子の家そのものだった。
「凄い立派な家だね」
「そう?ありがと」
明日香は後ろ手に門を閉めながらそう答えると、玄関へ歩みを進めていく。
RPGで主人公に付き従えるパーティみたいに明日香のすぐ後ろを追いかけながら、キョロキョロと庭を見渡す。
門からは見えなかったが、奥の方には枯山水の庭園を連想させる白砂の部分があった。
そのすぐそばの縁側で、風鈴がチリンチリンと鳴っている。
準和風の家だ。
例の変な髪型の男の子を彷彿とさせるようなイメージとは
若干離れているかもしれないと、その時になって思った。
玄関の戸を開くと、広々とした玄関ホールだった。
眼前の壁にでっかい鹿の剥製があって、ドキリとする。
鹿と目が合って、深雪は咄嗟に目を逸らした。
ああいう飾りは正直苦手だったし、家の中が薄暗いせいもあって、鹿の目はギラギラと不気味だった。
靴をどの辺で脱げば良いのか戸惑うくらいのホールを上がり、
明日香に促されるまま廊下を進んでいく。
家の中はやけに静かで、一瞬誰も住んでいない廃墟なんじゃないかと思うも、
所々生活感があったので、明日香が幽霊という訳でもなさそうだと一人納得した。
「この部屋で待ってて」
明日香に言われた部屋の扉を開けると、ここへ来るまでの和風な雰囲気から一変して、
いかにも女の子らしい様相を呈した空間が広がっていた。
明日香は部屋の灯りを付けると、すぐ戻るからと言い足して何処かへ行ってしまった。
とりあえず何もすることがないので、深雪は明日香の部屋を見渡してみることにした。
ドアの真正面の位置に、3段ほどの白い棚があった。
一番上の段にはラジカセやCDがあって、二段目には本、
三段目からはクマのぬいぐるみが所狭しと、いや、一部はみ出しながら並べられていた。
そのすぐ左手にはベットがあり、ピンクのシーツにピンクの枕と、ピンク一色だった。
唯一ピンクじゃないのが、枕元に置かれた茶色いクマのぬいぐるみくらい。
部屋の反対側には学習机がある。
きちんと整理が行き届いた部屋で、親からよく片付けなさい、と怒られている深雪の部屋とは大違いだった。
「お待たせ」
ドアが開くと、お茶やお菓子を乗せたトレイを持った明日香が部屋に入ってくる。
なるほど、わざわざ気を利かせておもてなしをしてくれたようだ。
なんだか悪い気がして、別に良いのに、と言ったが、
明日香は私が食べたかっただけだからと笑顔で答えた。
明日香に言われて学習机の机部分を引っ張り出すと、そこにトレイが置かれた。
座るよう言われて学習机の椅子に腰掛ける。
椅子に敷かれていたクッションにはクマの絵が描かれていて、クマが好きなんだろうなと思った。
明日香はトレイからお茶の入ったコップとヨーグルトの入った小皿を持ってベッドに腰掛けた。
小皿を白い棚の上に置いて、一口お茶を啜る。
それを見て深雪も、せっかく用意してもらったのだからと、お茶を少し飲んだ。
そのタイミングで、明日香が口を開いた。
「同じ第二中にね、大村君っていう男の子がいたんだ」
私の好きだった人なんだけどね、とコップを棚の上に乗せながら付け加えた。
直観で、明日香が待ち続けているのはその男の子のことだと分かった。
「その人は、私の幼馴染で、昔はよくあの神社で遊んでたの。
この辺公園もないし、第二の子の間では、結構メジャーな遊び場でさ。
でも、小六の終わりくらいからかなぁ。
だんだん、神社の裏手の駅から電車に乗って、街へ行ったり、海に行ったりして遊ぶようになったの」
俯いていた顔をふっとあげて、明日香は深雪の方を向いた。
いつか見たような切ない瞳は、うっすらと濡れている。
やりきれない思いになって、深雪は自らその視線から逃れた。
が、すぐにそれではいけないと思って明日香の目を見つめ直す。
今度は、私が元気づける番だと何度も心の中で反芻しながら。
「その時の待ち合わせ場所は、いつもあの神社だった」
今度は明日香が深雪から目を逸らした。
へへへ、と笑う声が、かすかに震えていた。
無理をして笑おうとしているのが分かった。
胸が痛い。
どうして、明日香はいつだって笑おうとするんだろう。
深雪には到底真似できないことだった。
「どうして……どうしてその男の子は、来なくなったの?」
聞いて良いものだろうかと思った。
しかし、聞かずにはいられなかった。
それと同時に、来なくなったと決め付けた言い方は良くないように思えた。
本当は、今頃その男の子が神社に現われているかもしれない。
これまで深雪があの神社へ訪れた期間に、たまたま現れなかっただけかもしれない。
そう思ったからだ。
「二人で街に行った時にね……道を、渡ったの。
大村君歩くの速くて、私、置いて行かれないように一生懸命、だった」
俯いたまま声の震えだけが大きくなっていく。
泣いているのだと分かった。
深雪はそっと立ち上がり、明日香のすぐ横に腰を下ろした。
ベッドのバネが少し弾んでギシギシと鳴った。
そっと明日香の頬に指を触れると、しっとりと濡れていた。
明日香はありがとうと言った。
「私、気付かな、かったの……車が、来てる、ことに……大村君が、それに気づいて、私を……」
嗚咽が混じり、それ以上の声が聞こえなくなった。
深雪は明日香の背中を擦った。
心が内側から張り裂けそうだった。
どうして来なくなったかを聞いた自分を呪いたくなった。
辛いことを思い出させてしまったことを後悔した。
でも、その男の子が来なくなった理由を正直に話してくれたことが嬉しかった。
それがこんなにも悲しい理由だったなんて、思いもしていなかったけれど。
男の子は、来なくなったんじゃない。
来れなくなったんだ。
もう二度と会うことの出来ない遠い所へ行ってしまったから──
「分かってるのに……もう来ないって、分かってるのに……」
「もう……もう良いよ、明日香。ありがとう。話してくれて、ありがとう」
そう言って涙を拭ってやると、明日香は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
涙でクシャクシャで、とてもいつもと同じような笑顔だとはいえないものだったけれど、
でもそれは紛れもなく笑顔だった。
深雪は、それを見て笑った。
必死で涙を拭いながら、明日香も微笑んだ。
ありがとう、と何度も囁いてくれた。
なんとなく嬉しくて、深雪はずっと笑顔だった。
深雪の大好きな、明日香がいつも見せてくれる笑顔には程遠いものかもしれない。
でも、今はそれでも、自分の笑顔に感謝してくれる明日香が嬉しかった。
深雪は思いついたように立ちあがると、
机の上と棚の上からヨーグルトの小皿を持って、またベッドの同じ場所に座った。
「食べよ」
小皿の片方を渡すと、明日香は恐るおそるそれを受け取った。
スプーンを握り、そして二人ほぼ同時にパクリと口に入れる。
甘酸っぱい味が口の中に広がった。
おいしい、と明日香が呟いて、深雪もそれに賛同した。
明日香は、またポロポロと涙を流しながら、何度も何度もおいしいと言っていた。
深雪はその明日香の横顔を黙って見届けた。
最後に、明日香がまたありがとうと言った。
深雪はそれに笑顔で答えた。
「ずっと、待っててよ」
深雪が言うと、明日香が不思議そうな表情を浮かべた。
ニィッと笑って見せて、そして深雪は続けて言った。
「その男の子の代わりにはなれないかもしれないけど……
でも私は毎日あの神社に来るから。
だから、ずっと待っててよ。ずっと、ずーっと待ってて」
「深雪ちゃん……」
明日香は今日何度目かのありがとうを口にすると、にこやかに笑顔を見せた。
それは、深雪に見せてくれていたいつものあの笑顔そのものだった。
その代わり、来なかったら許さないからね、と明日香は頬をふくらませながら言った。
絶対に行くよと笑うと、明日香もすぐに表情を緩めた。
「ねぇ、明日香、今から街行かない?」
それは咄嗟の思いつきだった。
今日このまま帰ってしまうのはなんだかあまりにも寂しい。
時計を見るともう夕方の5時を回っていたが、時間なんてそんなものはどうでも良いと思った。
明日香も、同じ心境だったらしい。
行こう、とすぐに同意してくれた。
深雪はスックと立ち上がり、手を差し出した。
明日香がその手を握って立ち上がると、二人して勢いよく部屋を飛び出した。
玄関まで来たところで、二人ともヨーグルトの小皿を持ちっ放しだったことに気付いて、
大笑いしながら部屋に戻る。
まだコップに大量に残ったままのお茶を二人して一気に飲み干すと、
部屋に忘れていた深雪の荷物を持って再び廊下を駆け出した。
ドタドタと大きな音が響いていたが、そんなことは気にならなかった。
廊下の途中、ガチャッと扉が開いてそこから明日香の母親らしき人が顔を出したが、
二人ともテンションが上がっていたので、明日香がちょっと遊んでくる!
と叫んで母親の目の前をダッシュで通り過ぎた。
明日香の母は、今から?と驚いたような表情を浮かべていたが、
晩御飯までには帰りなさいよ、と意外とおおらかだった。
玄関を飛び出して、門を抜けたところで明日香が、
確かもうすぐ電車が来ると言ったので、蒸し暑い夕暮れの中全速力で駅へ駆け出した。
乗り遅れれば、1時間近く次の電車を待つことになる。
明日香と二人ならそれくらい待つのも良いと思えたが、
今はこうして馬鹿みたいに全力で走っているのが楽しかった。
駅に着くと、ちょうど電車がホームに滑り込んだところだった。
慌てて300円を券売機に通し、切符を二枚買った。
間一髪で乗り込むと、電車はゆっくりと高台の麓を目指し動き始める。
ゼェゼェハァハァと二人して息を乱しながら、他の乗客がいるのも気にせず笑った。
二人とも呆れるくらい汗だくで、車内の冷房が恐ろしいくらいに涼しく感じられた。
窓の外を鬱蒼とした森が駆け抜ける。
かすかに垣間見えた空には、白々とした月が昇っていた。
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