各駅停車が参ります'08(2)


 放課後になって、深雪は家へ帰るでもなく街を歩いていた。
適当に歩いているとやがて高良駅に辿り着いたので、なんとなく一番安い150円の切符を買って改札をくぐった。
特に行くあてなどないが、昨日立ち寄った神社に行ってみようかな、という考えがその時浮かんだ。
どうしてかは分からないが、昨日会ったあの少女にもう一度会ってみたい気がしていた。
 “まもなく、二番線に、各駅停車が参ります”

 静かなアナウンスの後、左手から緑色の電車がホームに滑りこんでくるのが見えた。
目の前を車両が横切る瞬間、強い風が吹いた。
そのせいでぐしゃぐしゃになった髪をかき分けながら、深雪は電車が止まるのを待った。
扉が開いてそれに乗り込む。
空席だらけだったので少し迷いながら、すぐ左手の座席の真ん中付近に腰を下ろした。
それとほぼ同時に、ゆっくりと電車は動き始めた。

 窓の外をゆっくりと建物が流れていく。
次第に閑散とし始める景色は、やがて緑色に映える木々ばかりで占められるようになった。
森の合間を縫うようにしながら進む電車は、緩やかに坂を上る。
カタンカタン、と枕木の軋む音が軽快なリズムを刻んでいた。
車掌の聞き取りにくいアナウンスの後、電車は次第に速度を落とし、
一面森だった窓の外に突如古びた駅のホームが映った。
深雪はゆっくりと立ち上がり、電車を降りた。
駅舎のすぐ向こう側に、灰色の鳥居が見える。
誰もいない無人改札を抜けると、木で囲まれたなんとも厳かな雰囲気の砂利道が、
鳥居のある通りの方へと続いていた。
背後で、電車の出発する音が聞こえた。

 鳥居の足元には、昨日のあの少女が立っていた。
昨日とは違い、この日は制服を着ていた。
手には学校の鞄が下げられている。
第二中学の制服と、その指定鞄だった。
少女はそれが至極当然のことであるかのように、そこに立っていた。
服装が違わなければ、昨日からずっとそこに立っていたんじゃないだろうか、と思わされたに違いない。
いや現に、服装が違うにも関わらず、そんな風に思ってしまう。

「また会ったね」

 少女が、深雪に気付いて言った。
驚いて少女の顔を見ると、何故だか泣いていたかのように悲しそうな表情をしていた。
しかし、それは気のせいだと思わせるような笑顔が、次の瞬間には咲いていた。
それを見て深雪は何故だか安堵の気持ちに包まれた。
答えるともせず、鳥居の足元へ駆け寄る。
そして少女とは反対側の足元に立った。

「また会いましたね」

 深雪がようやく口を開くと、少女はまた嬉しそうに微笑んだ。
そしてすぐ真顔になって、深雪の恰好を舐めるように見回した。

「その制服……第一の子なんだね。電車に乗って来たの?」

「うん、まぁね」

 サラサラと暖かな風が吹いて、少し遅れて木の葉のカサカサと鳴る音がした。
今日も昨日に負けないくらいの陽気が辺りを包んでいる。
立っているにも関わらず、眠気を誘うほど心地よい。
いつか古典の時間におじいちゃん先生が言っていた。
シュンミンアカツキヲどーのこーの。多分それだ。
深雪に言わせれば、春の陽気なんかよりも
おじいちゃん先生の声の方がよっぽど催眠術だったけれど。

「ここの神社に、何か用があるの?」

 穏やかな口調で少女が言った。
一瞬、考え事をしていたせいか、問われているのが自分だと気付かずに呆けてしまった。
慌てて思考からおじいちゃん先生のぷるぷると震えた声を掻き消して、少女の問いに答えようとした。
そして、ここへ来た理由なんてものは特段ないことを知った。
強いて言うならば、少女に会ってみたい気がしたことくらい。
でもそんなこと言えるはずもなく、適当にお茶を濁した。

「あなたは、何か用があるの?」

 訊ねると、少女は空を見上げながら、人を待っているの、と答えた。
刹那、さっき見た哀しげな表情が浮かんだ。
少女はまるで胸が締め付けられそうになるほど切ない瞳をしていた。
いったい、誰を待っているんだろう。
それを尋ねようとして、やめた。
そんな奥深くまで入り込むほど、まだ少女と仲が良い訳ではない。
何か得体のしれない深い理由があるような気がしたからだ。

「私……山下深雪って言うの」

 次の瞬間には、深雪はそう口にしていた。
なんで私は自己紹介しているんだろう、とすぐに恥ずかしい気持ちになった。
案の定、少女は少し驚いたような表情を浮かべながら深雪を見た。
しかし、それはすぐに笑顔に変わった。

「あなたの、名前?」

 疑問形で返って来たので、深雪は思わず笑ってしまう。

「……名前じゃなきゃ、何だと思うの?」

「……それもそうね」

 自分のおかしさに気付いたのか、少女はクスクスと笑い始めた。
なんとも上品な笑い方で、女である深雪の目から見ても可愛いと思えた。
こんな女の子になれたらな、と何処か憧れるような思いが心に浮かんだ。
多分、自己紹介しようなんて考えたのは、そんな考えから来たのかもしれない。

「藤崎明日香、第二中の二年です」

「ほんと?じゃぁ、同い年だね」

 年上かとも思っていたので、少女、明日香の返答は意外だった。
同い年とは思えないほどの落ち着きが彼女にはあったからだ。
高校生でも十分通じそうなくらいだ。
本当に憧れてしまう。

「そっか、じゃぁ、深雪ちゃんって呼ぶね」

「うん」

 明日香はまたあの微笑みを浮かべる。
その笑顔が羨ましくて、深雪は目を逸らし高台の麓を見下ろした。
長閑な街並みが、遠くで白波を立てる海が綺麗に輝いて見えた。

 ピンポンパーン──

 駅のホームからチャイムが響いた。
昨日聞いて知っていたはずだが、やはり少し驚いてしまった。
すぐに昨日と同じようにアナウンスが流れて、それが高台の麓の方へ戻る電車だと知った。
しかし、それに乗って帰ろうとは思えなかった。
今日は、もう少しここから街を眺めていたい。
綺麗に澄んだ空を眺めていたい。
高台の麓には、それなりに遊び場はあるけれど、こんな景色が毎日みられるなら、
カラオケもゲームセンターも要らない気さえしてくる。
実際、住んでみれば遊び場がないと文句を垂れるのだろうが、
自分の住む麓にないものがここにはあることは、凄く羨ましい。

 風は鳴り、雲は流れる。
森は揺れ、木の葉は舞う。
春の陽気に少し蒸し暑い夕暮れ。
桜もだいぶ散ったこの時期、夏はすぐ傍にまで迫っているのだと分かる。
隣にいた明日香が、大きく息を吸った。
それを真似するように深雪も深呼吸を試みる。
まだ残るかすかな桜の匂いが、胸いっぱいに広がり、そして弾けるのを感じた。


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